人生の糧は人それぞれ

マンガ中心にたんたんと書きます。

【マンガ】幸村誠「プラネテス」

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1999年にモーニングで連載されていた幸村誠さんによる近未来SFマンガ。
このマンガを読んだきっかけが思い出せません。
いつ頃から読んだのか、当時学生だったと思うんですがモーニングを読んでいたわけではないので多分ジャケ買いだったんだと思います。
その後にアニメにもなっていて、なんとなくは覚えています。
心に残るマンガの一つなのにこんなにもあやふやな出会いなもんでなんだか不思議です。
手元にマンガがない(実家にある)のでうろ覚えですが印象に残っている感想を書きたいと思います。

■簡単な説明

宇宙旅行が当たり前になった2070年代。主人公の星野八太郎、通称ハチマキは自分の宇宙船を持つことを目標にデブリと呼ばれる宇宙ゴミを回収するお仕事をしていました。
このゴミ拾いは夢のためと言い聞かせながら、夢と現実の間で葛藤します。

■好きな理由

当時このマンガを読んだときに思ったことは、SFマンガなのにすぐそこに直面する現実のようでとてもリアルだったんです。
デブリのお仕事とか、必ず出てくるだろう問題だろうと思いました。
数年後にはこのマンガどおりのことが起こるんだろうなと思えました。
SFは遠い未来のある意味ファンタジーのような存在だったのがこのマンガはすごく身近でした。
私が好きなお話でフィーがタバコを吸えなくて暴走する話があります。
宇宙防衛戦のテロで貴重な喫煙場所が爆破されることでタバコが吸えなくなり、その恨みで最終的に爆弾だったか宇宙船に体当たりするお話。
この話も本当にリアルですよね。
今や愛煙家が肩身せまい時代になってて、宇宙開拓したら同じようなことが起きそうです。
きっとこのリアルな近未来感が良かったんだと思います。
初回のユーリのお話もとても好きです。
奥さんをまさにデブリが宇宙旅客機?に直撃することによって失い、喜びを失ったように物静かな男でしたが、デブリ回収で妻の形見と出会えたことで再生します。
心にジーンと響く本当に良い話です。

■「愛」とは

後半から田名部愛(タナベ)という新人が加入します。
これがハチマキの事故のあとだったか前だったか覚えていません。
たしか船乗りとして箔をつけるために木星往還船の乗組員に志願し、その後がまとして入ってきました。
ただタナベがやたらにハチマキに「愛がない!」と叫んでいたのは覚えています。
当時はその「愛がない」の意味が全く分かりませんでした。
ハチマキは事故で宇宙空間に一人取り残されるという経験をします。
それがきっかけで宇宙で働く者が陥りやすい精神的状態で、宇宙の広漠さにあてられ自身の存在理由を見失う状態(Wikiより)になります。
無理矢理に克服するのですがそこから自暴自棄のような行動や考え方になります。
ここから哲学的なお話になっていったような気がします。
タナベはそんなハチマキに対して「愛がない」と叫ぶのです。
「愛」ってなんだ?
学生でまだ精神的にも幼い私にとって「愛」が抽象的すぎて理解できなくて、当時は自分はハチマキ的な考えだったんだと思います。
それが社会人になって働いて、今ならその意味が分かるような気がします。
なんとなくですが、例えば、職場で指導する際にそこに相手のために思っての指導なのかそうじゃないのか、その違いを「愛」と表現してたのかなと思います。
自分が注意されても、それが自分のためを思ってされてる注意には愛を感じるし、ただの嫌味には愛を感じない。
ハチマキは自分よがりな考えや行動をしていて、そのことに関して訴えていたのかなーと今は思います。
そのあとは考えを思い直し、タナベと結婚、最後は仏のようになっていたような。
ただこの「愛」はそんな都合いいようなものではありません。
ウェルナー・ロックスミスという木星往還船開発計画責任者がいるのですが、この人は「宇宙船以外何一つ愛せない男」で、そのための犠牲はある意味仕方ないというような人です。
無理な実験のために事故を起こし大勢の人も死んでいます。
そのことに対して言い訳もしませんし、それでも成功させることで責任をとるとも思っています。
これもこの人の思う「愛」なんです。
愛してるから非道なことも割り切って出来てしまう。
そしてこの人のことを完全に否定できない自分がいます。
肯定もしてはダメですけど。

■締め

SF映画も好きでよく観るのですが、宇宙ってどうしてこんなにも惹かれるのでしょう。
宇宙=精神論につながる印象なのはこのマンガのおかげでしょうか。